
私は赤飯が大好物です。コンビニに入ると、まず赤飯のおにぎりを探します。なかなか置いていないことも多く、見当たらないとがっかりしますが、たまに割引シールが貼られていると、小さな幸せを感じてしまいます。
さて、少し前に三重県のある地域のお話を伺いました。そこでは、真宗門徒のご家庭で葬儀が営まれる際、お赤飯が供される風習があるのだそうです。一般的には、お赤飯は誕生日や入学、結婚など、お祝い事の席に出されるものというイメージがありますから、葬儀の場で出されると聞くと、少し不思議に感じる方もおられるかもしれません。
しかし、仏教、特に親鸞聖人の教えに照らしてみると、そこには深い意味が込められています。親鸞聖人は、関東のお弟子が亡くなられたという知らせを受けた際、「そのめでたいことは言葉では言い表せません」と述べられました。この世での命が尽きれば、阿弥陀さまのはたらきによって必ず浄土に生まれ、仏となる。そのことは、限りない悲しみの中にも、限りない喜びが重なる出来事でもあるのです。その喜びを表すのが、お赤飯なのでしょう。
ただし、その地域では必ず「お赤飯」とセットで出されるもう一品があります。それが「なみだ汁」と呼ばれる、唐辛子をだし醤油で煮出した非常に辛い汁物です。一口すすると、あまりの辛さに自然と涙がこぼれると言います。

頭では、亡き人が仏さまとなられたことを喜ばせていただく。しかし、残された者の心には、やはり寂しさが募り、涙があふれる。その悲しみを表しているのが「なみだ汁」です。喜びと悲しみ。その両方が入り混じるのが、仏縁におけるお別れの場でもあります。
思えば、お釈迦さまがご入滅された時も、似たような情景が伝えられています。「これで仏道が完成された」と涙をこらえた弟子もいれば、やはり悲しみに暮れて涙を流した弟子もいたと言われます。やがて後者の心情が、インドから中国、そして日本へと伝わるなかで、阿弥陀さまの「どこまでも悲しみに寄り添おうとされる願い」として深められていきました。
人はどうしても別れの悲しみから逃れられません。しかし、阿弥陀さまは「悲しみがあるからこそ寄り添う」と、私たちの涙のそばにいてくださいます。そう思えば、「なみだ汁」という風習も、単なる地方の珍しい食文化ではなく、仏さまの教えを身近に味わわせてくれる大切な習わしに思えてきます。
ちなみに、私は赤飯は大好きなのですが、唐辛子系はちょっと苦手でして…。食べているときは良いのですが、翌朝になると「お尻の穴がヒリヒリする」のです。これもまた、なみだ汁の後遺症でしょうか。トホホ…。
明顕寺(兵庫県丹波市柏原町)では、仏さまの教えを身近に感じていただけるお寺として、法事・葬儀・納骨・永代供養・墓じまい・個別納骨・合同納骨など、各種のご相談を承っております。人生の節目を、安心してお任せいただけるよう、これからも心を込めてお手伝いしてまいります。どうぞお気軽にお問い合わせください。