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「納骨堂は、どこでもいい?」その選び方、後悔しないための3つの視点|丹波市・明顕寺

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2025.06.22

「納骨堂を探しているけど、たくさんありすぎて、もうどこでもいいかな…」 「継承者もいないし、とにかく費用が安くて、手間のかからない所なら…」

大切な方のご遺骨を納める場所を探す中で、情報量の多さや、考えるべきことの複雑さに、このようなお気持ちになってしまうことはありませんか。そのお気持ちは、とてもよく分かります。

こんにちは。兵庫県丹波市の真宗大谷派 明顕寺(みょうけんじ)です。

しかし、私たちは、大切なご遺骨を託す場所選びは、人生でそう何度もない、とても重要な決断だと考えています。その決断の先に、ご遺族がこれから何十年と抱き続ける、本当の「安心」があるか。

今日は、「どこでもいい」というお気持ちの裏にある、皆様の本当の願いを叶えるために、少しだけ視点を変える3つのご提案をさせてください。

視点1:「どこに」納めるか、から「誰が」供養してくれるかへ

納骨堂を選ぶ際、私たちはつい、建物の新しさや価格、アクセスの良さといった「場所」の条件に目が行きがちです。しかし、最も本質的な問いは**「その場所で、誰が、どのような想いで、故人の供養を続けてくれるのか?」**ということです。

納骨堂は、ご遺骨を保管するだけの倉庫ではありません。未来永劫にわたって、故人様が供養され続けるための、祈りの場所です。

最新の設備を整えた民間の施設も素晴らしいですが、そこでの供養は、マニュアル化された「業務」になってしまう可能性はないでしょうか。数年後、運営会社の方針が変わり、管理体制が変更になることはないでしょうか。

お寺の納骨堂では、そのお寺の**「住職」**が、顔の見える責任者として、日々お経をあげ、ご供養を続けます。明顕寺では、自衛官から僧侶になった住職が、その人生経験を通して得た「人の痛みに寄り添う心」で、皆様の大切な方を、家族のように思い、手を合わせ続けます。

場所や建物ではなく、その場所を守る「人」の想いや温かさに、目を向けてみませんか。

視点2:「今の便利さ」から「いつまで」安心が続くかへ

「今は新しくてきれいだけど、10年後、30年後、50年後はどうなっているだろう?」

特に、近年新しくできた民間の納骨堂を選ぶ際に、この「永続性」の問題は、非常に重要です。万が一、運営会社が倒産したり、事業から撤退したりした場合、託したご遺骨はどうなってしまうのか。その不安は、後々までご遺族の心に重くのしかかります。

その点において、お寺は、圧倒的な歴史を持っています。 **明顕寺が、この丹波の地に500年以上あり続けてきたという事実。**それは、この先も、よほどの天変地異がない限り、この場所にあり続け、皆様のご先祖様をお守りしていくという、何よりの証です。

目先の便利さや価格だけでなく、「100年後も、変わらずにあり続けてくれる場所か」という視点を持つこと。それが、ご自身だけでなく、お子様やお孫様の世代まで続く、本当の安心につながります。

視点3:「故人のため」から「自分のため」の場所になるかへ

納骨堂選びは、もちろん第一に故人様のためです。しかし、それと同時に、残されたご遺族である「あなた自身」のための場所を選ぶ、という意味も持っています。

あなたは、これから何度も、その場所に足を運ぶことになるかもしれません。

嬉しいことがあった日。 悲しいことがあって、一人で泣きたい日。 人生の岐路に立ち、静かに自分と向き合いたい日。

そんな時、あなたが訪れたいのは、どのような場所でしょうか。 無機質な建物でしょうか。それとも、鳥の声が聞こえ、木々が揺れる、自然に抱かれたお寺の境内でしょうか。

お寺の納骨堂は、故人と再会する場所であると同時に、残されたあなたが、心を休め、明日への活力を得るための「心の拠り所(セカンドプレイス)」にもなり得ます。訪れるたびに、心が穏やかになる。そんな場所を選んでこそ、故人様もきっと喜んでくださるはずです。

まとめ:「どこでもいい」から「ここがいい」へ

「納骨堂は、どこでもいい」。そう思っていたお気持ちが、この記事を読んで、少しでも変わったのであれば幸いです。

大切なのは、「誰が」「いつまで」供養してくれ、「自分の心」がどう感じるか。 この3つの視点を持つことで、選択肢は自然と絞られ、心から「ここなら安心だ」「ここがいい」と思える場所が、きっと見つかるはずです。

まずは、見学だけでもお気軽にお越しください。そして、明顕寺の空気と、ご住職の人柄に触れてみてください。その上で、あなた様の心が本当に安らぐ場所をお選びいただくことが、何よりも大切です。

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