「お寺って、法事やお葬式、お墓参りのような、何か特別な用事がある時だけ行く場所ですよね?」
時々、私たちはこのようなご質問をいただくことがあります。多くの方にとって、お寺は少し敷居が高く、日常から少し離れた特別な空間だと感じられているのかもしれません。
こんにちは。兵庫県丹波市の真宗大谷派 明顕寺(みょうけんじ)です。
もちろん、法事や年間行事は、お寺にとって非常に大切な役割です。しかし、私たちが一番願っているのは、お寺が皆様にとって、**もっと身近で、いつでも気軽に立ち寄れる「心の拠り所」**となることです。
結論から申し上げますと、お寺は、用事がなくても、いつでも、どなたでもお参りにお越しいただいていい場所です。
この記事では、「何もない日のお参り」が、私たちの日常にどのような豊かさをもたらしてくれるのかについて、お話ししたいと思います。
「お参り」は、自分と向き合うための時間
私たちは、毎日様々な出来事の中で生活しています。嬉しいこと、楽しいこともあれば、仕事や家庭の悩み、人間関係のストレスで、心がざわついてしまう日もあるでしょう。
そんな時、ほんの5分でも10分でも構いません。静かなお寺の本堂に座り、ご本尊である阿弥陀如来(あみだにょらい)様の前に静かに手を合わせてみてください。
- 心をリセットする: 慌ただしい日常から物理的に距離を置くことで、高ぶった感情や複雑な思考が、すっと落ち着いていくのを感じられるはずです。
- 自分を見つめ直す: 誰にも邪魔されない空間で、自分自身の心の中にある本当の気持ち(悲しみ、喜び、感謝)と静かに対話することができます。
- 感謝の気持ちを思い出す: 「今日も一日、無事に過ごせました」と手を合わせる。当たり前だと思っている日常が、実はとても有り難いものであることに気づかされます。
お参りは、何かを「お願い」するためだけのものではありません。むしろ、自分自身の心を整え、明日への活力を静かに得るための、大切な時間なのです。
明顕寺での過ごし方
明顕寺の門は、日中であればいつでも開かれています。
お近くにお越しの際に、少しだけ立ち寄ってお参りいただく。それだけで結構です。もし、ご住職がいれば、気軽にお声がけください。お茶を飲みながら、世間話をするだけでも構いません。自衛官から僧侶になった住職が、皆様のお話をいつでも喜んでお伺いします。
特に、以下のような時に、ぜひ明顕寺のことを思い出していただけたら嬉しいです。
- 嬉しいことがあって、誰かに報告したい時
- 心が疲れて、少しだけ一人になりたい時
- 豊かな自然の中で、季節の移ろいを感じたい時
- 故人やご先祖様のことを、ふと思い出した時
500年以上の歴史を刻んできた本堂と、丹波の自然が、いつでも静かにあなた様をお迎えします。
お寺を、あなたの「心のセカンドプレイス」に
私たちは、カフェで一息ついたり、公園のベンチで物思いにふけったりします。それと同じように、あなたの日常の中に「お寺に立ち寄る」という選択肢を加えてみてはいかがでしょうか。
そこには、特別な作法も、難しい決まり事も必要ありません。ただ、静かに手を合わせ、心を落ち着ける。それだけで、あなたの毎日は、きっと少しだけ豊かになるはずです。
明顕寺は、何か特別なことがあった時だけの場所ではありません。あなたの人生に、そっと寄り添う「心のセカンドプレイス」でありたい。それが、私たちの心からの願いです。
いつでも、お待ちしております。