TOP > お葬式で大切にしていること

明顕寺では、宗派を問わず、無宗教の方のお葬式もお勤めしています。


法名をお付けする際には、お好きな漢字を一文字、たとえば故人様のお名前の一文字を選んでいただくこともできますし、すべて住職にお任せいただいても大丈夫です。

また、「慣れ親しんだお名前のままでお送りしたい」というご希望にも対応しています。

明顕寺のお葬式では、故人様お一人お一人の人生についてお話を伺い、その方の歩みを織り込んだ「表白」を作り、葬儀の中で読み上げています。住職から故人様への弔辞のようなものです。

また、皆さまに経本をお配りし、住職だけがお勤めするのではなく、ご家族にも一緒に読経していただく時間を作っています。

そして、お葬式の意味や、悲しみへの向き合い方、法名をお付けした場合にはその由来を、分かりやすく記したリーフレットもお渡ししています。

では、なぜこのようなお葬式をするようになったのか。
そのきっかけは、以前、助産師の内田美智子先生から伺った、ある親子のお話でした。

と畜のお仕事をされている坂本さんには、老人介護施設で働く娘さんがおられます。
ある晩、こんなやり取りがあったそうです。

「お父さんの仕事と私の仕事って、似とるねー」
「何が似とるもんか! 俺の仕事は、牛や豚の命をとる仕事だぞ。
お前の仕事は、お年寄りの世話をする大切な仕事やろ。
お年寄りは喜んでくれる。俺の仕事は、喜ばれたりはしない」

すると娘さんは、こう言われました。
「あのね、お父さん。私は、最期に会った人間が私で良かったなあ、とお年寄りに思ってもらえるように、毎日お世話をしとるんよ。
お父さんも、牛や豚に最期まで気持ちよく生きてほしいと思ってるから、なでたり、話しかけたりするんやろう。
最期に会った人間がお父さんで良かったなあって、思ってもらえるようにしとるやろう。
だから、おんなじなのよ」

素敵な親子だなあと思いました。
それと同時に、私自身に一つの問いが突きつけられました。


「私はこれまで、誰のためにお葬式をしてきたのだろう」

以前の私は、お葬式を大切な聞法の機会だと考え、
「この時を逃してはいけない。親鸞聖人の教えを、しっかり伝えなければ」
と、力んでいたように思います。

もちろん、今もお葬式は大切な仏縁だと思っています。

ですが、葬儀の形を整えることや、教えを正しく伝えることに気を取られ、ご遺族が今どんな思いでそこにおられるのかを、十分に受け止められていなかったのではないか。
そんなことを考えるようになりました。

大切な人を亡くしたばかりのご家族は、深い悲しみの中におられます。

「もっとしてあげればよかった」
「まだ亡くなったことが信じられない」
「もう一度だけ会いたい」

そんな時に、どれほど正しい仏教の言葉を聞いても、心に入ってこないことがあります。
それもまた、自然なことなのかもしれません。

お釈迦様の時代、幼いわが子を亡くしたキサーゴータミーという女性がおられました。
「この子を生き返らせてください」と願う彼女に、お釈迦様は、いきなり道理を説かれませんでした。
「まだ一度も死者を出したことのない家から、からし種をもらってきなさい」
と言われます。

彼女は家々を訪ねますが、死者を出したことのない家などありませんでした。
その歩みの中で彼女は、愛する者を失った悲しみを抱えているのは、自分一人ではなかったと知らされていきます。

私とは違い、お釈迦様は、正しい教えを急がれなかった。
今すぐには受け取れない時間も、大切にされたのではないか。
私は、このお話をそのように受け取っています。

だから明顕寺のお葬式では、まず、ご家族が今どんな思いでおられるのかを大切に受け止めたいと思っています。

住職だけがお経を読むのではなく、ご家族にも一緒に正信偈をお勤めいただくのは、

「故人のために、何かしてあげたい」

というお気持ちを大切にしたいからです。

その方お一人お一人の歩みを織り込んだ表白を作るのも、住職のためのお葬式ではないと思うからです。

お葬式ですべてが分かる必要はありません。

葬儀が終わった後も、読みたくなったときに、もう一度ゆっくり読んでいただけるよう、リーフレットをお渡ししています。

四十九日で聞こえてくる言葉もあれば、初盆や一周忌、あるいは何年も後になって、初めて心に届く言葉もあります。

亡き人をご縁として、少しずつ仏様のみ教えに出遇っていく。

そんなお葬式になれば、と願っています。


真宗大谷派 明顕寺
住 職  廣崎秀行

お葬式について分からないことや、
「こんなことを聞いてもいいのかな」
ということでも、どうぞご相談ください。